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FALLING, DIVING, DAYDREAMING

掲載日: 2017/08/16

初めて訪れた香港では、まずその都市空間の垂直性に圧倒された。限られた空間でフロンティアを求め、建物は上へ上へと階層を重ねてゆく。そうした天へと伸びる垂直性に対し、到着してからの数日間で感じたのは「落ちる」ことへの欲求であった。ゼロ地点へ落ちること、そしてそのまま地面の下へ「潜る」ことは可能であろうかという問いである。
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そうした問いを携え、プログラムの一環で長洲島という離島を訪れた。島での目的の一つは清朝時代の海賊が財宝を隠していたとされる「張保洞」という洞穴を訪れることであった。洞穴といっても岩場の隙間にある全長5mにもみたない小さなものだったのであるが、穴に「潜り」、暗闇を抜け、再び地表に出る、という行為を経た時に不思議と香港に受け入れられたような気分になった。こうした感想を今回のパートナーである石倉氏と共有してゆく中で、垂直的な空間の都市部を対象化し、香港のもつ水平性を考えるきっかけとして島嶼空間をリサーチの対象にしようという方向性がつくられた。そして長洲島を訪れた翌日、さらに小さい規模の坪洲という島を訪れることにした。
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坪洲はどういう島ですか?と香港在住のトランスレーターに訪ねると「椅子に座ったおじさんがたくさんいますよ」という答えが帰ってきた。どういうことか聞いてみると、やる事のないおじさんおばさんたちが自分の椅子を街中に置いておき、天気が良いと何をするでもなくその椅子に座っているのだという。そのエピソードに心を惹かれ島を訪れてみると果たして船着場の前にたくさんの椅子が置かれているのであった。そこに座っている人たちはお互いに会話をするでもなく、ただぼーっと行き来する人々を、海岸線を、あるいはその向こうに見える都市部を眺めている。
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リサーチをすすめてゆくと、坪洲島ではかつて香港最大のマッチ工場を始めとした産業が栄え、100以上の工場が小さな島内にひしめきあっていた時代があった、ということを知った。しかしそうした工場も70年代後半までには徐々に姿を消し、現在島内にその面影はほとんど残されていない。そこで浮かんだのが3つ目の「白昼夢」というキーワードであった。
海辺でプラスチックの椅子に腰かけているおじさん、おばさんたちは目の前の風景を見ているのではなく、在りし日の坪洲の姿に想いを馳せているかもしれない。「寝落ち」という言葉があるように彼らは座って海を眺めつつも、過去に落ち、潜っているのではないか。そこに香港の過去と現在、時間軸と空間が結節する点が存在するように思え、今回の「歴史・神話・アイデンティティ」というテーマへの応答として「FALLING, DIVING, DAYDREAMING」というプレゼンテーションを行なった。
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経済、物流、資本主義、といった目に見えないもののネットワークの中心である香港で東アジアそれぞれの「アイデンティティ」について考えることの意味は、国家や民族といった強固な神話を背景とした自己同一性ではなく、より流動的で、移ろいやすい自己同一性の可能性を模索することにあるはずである。そうした可能性に作品という形でアプローチをするのであれば、坪洲島での体験がひとつの出発点になるように思えた。
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香港から帰国しての数日間、毎晩夢を見た。夢の中では香港におり、ひきつづきr:eadのメンバーと議論を行っていた。そうしたこともあってか、目を醒ましている日中もなかなか日本での現実生活に戻れず、ちょっとしたきっかけで香港の風景がフラッシュバックした。それまで香港に何のゆかりもなかったにも関わらず、ここまで異国の地の風景が頭をよぎる、「白昼夢」から抜け出せないでいる、という状況は初めてのことであった。
思い返せば坪洲島を訪れた際にも、韓国の済州島のことを考えていた。その時は単純に香港における都市—島嶼部の関係性からこれまで作品制作の舞台としてきた済州島とソウル、済州島と東京、という地理的関係を考察する新たなヒントが得られるのでは、という目論見があったに過ぎない。

しかしそうした地理的な比較や類似性を探そうとするよりも、突然日本で香港の風景がフラッシュバックするといったような突然の接続性にこそ新たな可能性があるのではなかろうか。一見関係のない土地土地を、個人的な感覚を頼りに突発的に並置しながら考えてゆくこと。それこそが「地図上には存在しない東アジア」を考えるためのひとつのアプローチになるはずである。そうした可能性を開くのに香港以上にふさわしい場所はないはずであり、一度開かれた「白昼夢のネットワーク」から振り落とされまいと今日も熱心に夢を見ている。