声のイメージ:聞いて語る

 社会の厳格なシステムの境界を横断し、その間に生まれる隙間に一種の抵抗的なジェスチャーを試みるキム・ジソンは、東京とソウルという二つの場所で共に、代議制民主主義の醍醐味、選挙を目撃して経験した。それは今まで取り組んでいた「ヴァーチャル」な空間に「新しい民主主義のプラットフォーム」というテーマを投げかけた。「一般意志2.0」で東浩紀の述べる、コミュニケーションのない新しい民主主義の可能性は、2度目の滞在における主要なキーワードを生み出した。東アジア4ヵ国から来たr:eadの参加者たちは、自国の民主主義の危機について口を揃えて話していた。そのため、東の考えは、確かに言語と国家を超える新たな政治の魅力的な可能性として思われた。最近、橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」という発言に関する東のツイートが、韓国で「東浩紀の妄言」として一瞬話題になった。彼はこれについてどう思うだろうか。コミュニケーションの不可能さを前提として行う、いわゆるインターナショナルなイベントでは大概英語を共通言語としている。が、r:eadでは参加者がそれぞれの母国語を使うようにした。不完全なコミュニケーションが壁になるというよりは、越境を試みる余地を与えてくれた。その結果、お互いの差異を読み解く(read)、対話(dialogue)が可能だったのではないかと思う。実際に「一般意志2.0」の韓国語翻訳者である安天氏との出会いを含め、様々な人の知的成果のお蔭で、既存の認識を破って日本の社会を読み解くことができた。

 東京について初めての発表の場で、私は今回のリサーチを念頭においてキム・ジソンと共に考えていた匿名性について述べ、キムは韓国のポータルサイト形式を用いて思考を展開した。発表後に、その匿名性のせいで生じる弊害について懸念する声があった。日本と韓国のネット右翼のようにファシズム的な兆候を示している例もあり、アーロン・スワーツの残念な死と「アノニマス」のハックティビズム活動(訳注:ハッキングとアクティビズムを合わせた語)は、ウェブにおける共有と所有、自立と攻撃、抵抗と不法の境界について議論を呼んでいる。この問題に関しては、葛藤や危機の管理という側面よりは、世界を構築する次元でその必要性について考えてみたい。韓国で、現実世界では存在感のない敗者を意味する「 インヨ(剰余)」あるいは「ドゥッポジャブ(訳注:見たことも聞いたこともない者という意味)」という言葉は、ウェブで生まれた用語である。現実という「意識」レベルにおける知識の専門性、権威の制限、費用の増加により排除が生じたとすれば、新しい民主主義のプラットフォームを考えるときに、当然このような「無意識」の存在のデータベースを既存の民主主義を補う要素として考えるべきではないだろうか。

韓国の文学評論家ボク・ドフンは、『黙示録の四騎士』でアルブレヒト・デューラーの同名作品をもとに、破局に直面した今日の世界について4つの分析を書いている。彼によると、その四騎士はそれぞれ、自己破壊に向かう資本主義の発展の歴史、敵と味方に分かれる政治的な想像力の危機、平等と不平等の残酷な闘争、生活と死の価値が失われ生存そのものだけが存在する生政治(訳注:フーコーの著書『監獄の誕生』の中で言及される主要な概念)を象徴する。キム・ジソンが「上手に盗む(ウェル・スティーリング)」ことで転覆させようとした「ウェル・ビーイング」という韓国社会の断面は、その中で三つ目の騎士が持っている天秤に繋がる。他人と比べてより優位でなければならない、あるいは負けてはいけないという強迫的な命題は、生活を脅かす要素を排除しながら生そのものを排除する。ウェル・ビーイングは、命という手段そのものが目的になった生存の異なる顔なのである。恐らく「インヨ」は、この生存の軌跡から脱落した者たちだろう。また黙示録の隠喩に戻ると、その者達が、封建社会の「臣民」でも近代の「主体」でもなく、脱近代の「生命」とも呼べない誰かである。彼らを東浩紀の言う動物としての人間、キム・ジソンの「インヨ」とつなげてみる。キムはウェブを超え、高円寺でリサイクルショップを経営する松本哉とその隣人からも、ゲンロンカフェに集まった人々からも、その顔を見つけようとした。彼女はそのような過程を経て、ゲンロンカフェよりクイズという形式を盗んだ。クイズは質問と答えによって構成される談話の形式であり、自己覚醒あるいは啓蒙と深く関係している存在を主体化させる装置として見なせる。キムは失敗すると分かっていても、答えようのない、回答に向かう意識を攪乱させる内容でクイズを作った。あいにく最終プレゼンテーションが行われた日は、東アジア全体に破局を可視化した2年前の3.11東日本大震災が起きたその日だった。東アジアの諸国は、この黙示録の過去、現在、未来いずれかの一部に含まれている。東アジアは新しい楽園を見つけられるだろうか。その答えもまだ不安である。

 インタビューで東浩紀は、「様々な社会問題において日本社会の右傾化を批判する外部の声は、内政干渉の論争を招き、敵対を煽るだけだ」と懸念を示し、なお、「問題がないのが日本社会の問題」と指摘した。この二つの発言は、知識人たちのナイーブな態度と、日本社会における脱政治的な傾向を同時に連想させた。政治意識や民主化経験のようなことから問題を論じたくはない。政治とは異なる価値がぶつかり合い、互いを認識する時間であり場所である。その場で作られた最も相対的な結果を今日民主主義と呼んでいる。回避せずに敵について語り続け、その敵対を隣人に対する友愛に置き換える楽園はないのだろうか。高円寺の隣人たちが集まった「なんとか・バー」で聞いた声を思い出す。そう、なんとか、どうしても、とにかく、結局は民主主義、政治、社会の周辺を迷っている。なぜ?民主主義のみならず、モダニズムやコンテンポラリー芸術も、きちんと費用を払わず短期間で移植されたせいなのか。そのため、何人かの目立つアーティストたちは、負債を返そうとしているように政治的な正しさに従って活動しているのだろうか。払えなかった費用はそのような社会的な介入でのみ払えるのだろうか。舞台芸術制作者の小沢康夫は、インタビューで「もはや劇場に公共性は存在しない」と指摘し、「ウェブ上で舞台芸術の新しい公共プラットフォームを見つけようとしている」と述べた。ウェブであろうと他のある場所であろうと、とにかく、芸術が社会を必要としているのではないか。費用を払う方法はまだ曖昧であるが、この結論が出せないことをロマンチックに考えずに、問題を記憶し続けることを祈っている。また会おうと言っていた5年後にも。

「Oral History」について

今回、r:eadでは「Oral History」というプロジェクトをたちあげた。これは街行く人にインタビュー形式で、知識として頭に入っている第二次世界大戦前および、大戦中の日本の歴史を口にしてもらう、というプロジェクトである。上野公園、アメ横、代々木公園、新宿、東京タワー、新大久保、浅草で、約70名の街行く人々にゲリラインタビューに協力して頂いた。その際、インタビュー協力者の個人を特定できないように口元だけをビデオカメラで撮影させてもらい、「Oral History」というタイトルの通りに、Oral(口)がHistory(歴史)を語る、という映像作品に発展させていければと考え、プロジェクトを進めた。

r:eadのプレゼンテーションの際には、とりあえず協力者の口から発せられた「歴史」を実際の年表順に当てはめていく、という編集を試みた映像を発表した。70人の個々人の記憶に記されている「歴史」を、一本のタイムラインに乗せることによって、どのような共通認識があり、またどのようなFactが抜け落ちているか、その姿を見てみたいという想いで編集をした。その結果例えば、より多くの人が口にした「原爆投下」や「真珠湾攻撃」などが、タイムライン上で複数の「口」によって繰り返し連呼されることにより、この二つの史実が他の史実よりもより多く認識されている姿が描かれたと思う。また「原爆」という言葉を複数の人が「原発」と言い間違えたことも非常に興味く、このような言い間違えや覚え間違えが複数人によって発されるときに、集団的な無意識の姿が浮かび上がってくるように見受けられた。そして、そのような無意識が浮かび上がる瞬間を映像で表象することこそがこのプロジェクトの核になるのでは、と感じた。

しかし今回の編集のように、実際の年表に当てはめていくだけの編集では、このような言い間違えや覚え間違えを効果的に見せることが出来ない、ということにも気づかされた。このプロジェクトは、正確に記憶された歴史を伝えるための作品ではなく、いかに集団的記憶・歴史認識にエラーと空白があるか、その歪んだ姿を映像にすることにこそ醍醐味がある。よって大多数の人々の口から発される「全然わからない…」「歴史は弱い…」というつぶやきや、突拍子もない発言を、いかに編集においてシステマチックかつ効果的にタイムラインに乗せることができるか、がポイントになってくると思う。そのシステムさえ発見できれば、あとはより多くの人にインタビューを試み、より多くの素材を得ることによって、作品に厚みを加え表現を豊かにすることが出来るのではと感じている。

プロジェクトの最終的な姿はまだまだ見えないが、私の願望としては、複数チャンネルのビデオインスタレーションや、アーカイブとしてこの作品を見せるのではなく、あくまでもすべての素材を一つのタイムラインに乗せることにこだわった、シングルチャンネルの映像作品に仕上げ、普通の映画劇場で上映することを夢見ている。60分間、「口」が矛盾と歪みと無知に溢れた歴史を執拗なまでに一方的に観客に押し付ける。その図こそ、今日の日本の現実により忠実な「Oral History」の姿なのではと感じている。

2013年4月26日

氷解

r:eadの第二期目では、よりアートの力を感じることができた。第一期目では、日本に対し、非常に表面的な印象しか受けなかったが、今では深く感じる部分もある。しかし、もちろんまだ表面的にしか感じられない部分もある。ただ、重要なのは、私自身が変化したということだ。この点を鋭く捉え、自分の変化の過程を映像作品として形にしようと決めた。心の変化をとらえた映画だ。

プロジェクトの第一期が終了し、中国に戻ったそのころは、日中間の緊張が高まっていた時期でもあった。一人の野心あるアーティストとして、この情勢を借り、パフォーマンスをしたいと考えた。歴史と美術史に痕跡を残したいと思ったのだ。その時の私は、少しばかりクレイジーだった!この考えが正しいのか間違っているのか、また、結果がどうであれ、センセーションを巻き起こせたらそれでOKとさえ思っていた。映像の始まりの部分は、私の真の内面といえる。一人の中国の「愛国心をもつ若者」である「私」は靖国神社でパフォーマンスをし、「日本」を刺激し、攻撃したいと願う。しかし、来日後に目にしたものは、きれいな街や礼儀正しく、献身的に仕事をこなし、生活を楽しんでいる日本人。更には、多くの日本人が政府に対し反抗心を抱いており、日本に対し好印象を持つまでになった。このようにして、漠然と一括りで抽象的に捉えていた「日本」という概念は崩れ去り、具体的な個人への興味が生まれた。「私」は目的を見失いつつある。戦争体験のある年配者から純真な少年まで、より多くの日本人に接すると、各自が、強烈な思いを持っていることがわかった。それは、教育の力によるものなのだ。内容こそ違えども、戦時中の教育も今の教育も一貫して政府や国家により、意識的にコントロールされている。88歳の年配者は、中国のことが好きではないと語った。というのも、子供の頃、学校では、中国は悪い国で、中国人は悪人で卑しいと教えられたからだ。13歳の少年は、日中戦争のことをよく分からないと言った。教育の背後では、国がコントロールをしているのだ。「私」は次第に目を覚ます。日本人が残忍なのではなく、人間そのものが残忍で狂気じみた一面を持っているのだと。国にコントロールされ、人間性の弱い部分が利用されているのだ。無数の国民が戦争という地獄に落とされるのだ……。

巨匠田中泯氏の舞踏を見たとき、何度もぼんやりとしていた。まるで自分が舞台上にいるかのようで、田中氏の身体と私の身体があまりにも似ていたからだ。20年後の私の姿に見えたのだ。

文化大革命時代の紅衛兵は、日本兵となんら違いはない。母に話を聞いたとき、当時、紅衛兵として天安門で毛主席と接見したことを語った。「私たちの両親も、毛沢東思想に熱く従い、残忍なことをしたのだ」資料を読み進めるにつれ、中国政府により包み隠された多くの史実があることを知った。例えば、日中戦争。国民党軍が戦争をしかけ犠牲を生んだのだが、今、中国のテレビで次から次へと放映される抗日ドラマでは、八路軍(注:中国共産党指揮下の軍)とゲリラ部隊が日本人を攻撃するという内容に変わっているのだ……。今の中国政府は、中国人になにをもたらしてくれただろうか?汚染、強制立ち退き、詐欺、洗脳……。この時、「私」の有名になりたいという野心や欲望は、すでに崩れ落ちたのだ……。私は、いかなる国家の悪事の片棒も担ぎたくない、国の操り人形にはなりたくない。まずは、靖国神社でのプランを取りやめるのだ。その場所を選択するということは、自己表現ではなく、政治の道具となってしまうだけだからだ。普通の街で、別の方法とテーマで一般人に向けてパフォーマンスをする。これこそが、私のアートの力であり、アーティストとしての方法と選択なのだ。
「中国人も日本人も操り人形になるな!」
最後に、自由の象徴としての翼をまとい、東京の高層ビルの上に立ち、空と街を見下ろす。

「おそらく、私は「歴史」に名を残せないだろう。でも、「歴史」って何なんだ?それはいつも、勝者が残してきたものなのだ。それよりも、我々には、きれいな空気と食べ物が必要なんだ。」

この一人称で描かれた映画は、私のリアルな精神面の変化でもあり、また、鑑賞者も簡単に「私」とシンクロできるだろう。日中の現在の情勢下でこのような作品を創作するということは、非常に意義があると思っている。国民の偏見や誤解の氷解、個人同士の交流、人間性の中にある自省や善良の探求に一役かいたいと願っている。

今回の制作にあたり、私のチームの皆さんには非常にお世話になった。例えば、小山さん、許志龍くんをはじめ、ウルリケさん、吉崎さん、小島さん、相馬さんなど、手厚いサポートをしていただいた。

本当にありがとうございました!

初めての体験 ―― 李凝、東京にて「鬼子」捜索

アーティスト李凝は、故郷済南特有の埃っぽさと、現代中国の特殊な政体の下で受けた精神的ストレス、落胆、憤懣、諦めを携えて東京へやってきた。

現代の中国人にとって、「日本」は間違いなく最も良く知っている符号だ。「日本」に対する中国人の思いといえば、1937年から1945年に起こったあの戦争である。映画やドラマでの「鬼子」(注:日本人に対する蔑称)のイメージ(以前は、中国の役者が痩せこけ下品なイメージで演じていたが、最近は中国で生活している日本の若い役者が「鬼子役者」として登場する)が世を席巻し、人々に型どおりのイメージを絶えず植えつけている。李凝は、日本で「鬼子」を探すのだが、彼と同様に0を有し、個性も感情も異なる日本人しか見つけることができない。抱いていた型どおりのイメージは崩れ、そこで彼はこの《氷解(UNDOING)》の構想を練ったのだ。

もちろん、作品の構想としては、比較的シンプルではあるが、中国と日本の現状において、このような作品は非常に特別に感じられる。李凝は(作品のオープニングで見せたように)中身がなく狭い中国民族主義を皮肉っており、その視点は、会田誠による日本の民族主義に対する皮肉と同工異曲である。

国家、民族、人種の概念が「氷解」し、個人の地位が上がり、個人は二度と「集団」に取り込まれることはない。

流行の笑い話に次のようなものがある。ある英語検定試験の作文のテーマが、「食品の欠乏問題についてあなた個人の見解を記しなさい。」であった。アフリカの学生は答えずに尋ねた。「食品って何?」、アメリカの学生は答えずに尋ねた。「欠乏って何?」、中国の学生は答えずに尋ねた。「個人の見解って何?」と。
集団主義が崇められる中国では、個人の概念は、教育体制やイデオロギー、風俗習慣により巧みに崩される。この体制の重圧の下で生き続けてきたアーティストとして、李凝が中国文化に反旗を翻すことは理解できる。彼の初期の作品を見ると、それらの構想は比較的単純で表面的ではあるが、活動の時間や規模などに制限があったことは明らかである。より重要なのは、彼のテーマは集団の瓦解であり、型どおりのイメージとカテゴライズの払拭ではあるが、リサーチや研究方法は基本的にまだカテゴライズに頼っているのだ。つまり、彼はインタビュー対象者の年代を決めると、その個人がその年代の代表であることを期待しているのだ。例えば、「あなた方日本人は、この問題をどう考えていますか?」「君たち日本の中学生は、何が好きなの?」など、質問の際に、対象者に彼らの属するグループの代表としての回答を望んでしまっている。また、質問内容には、明らかに誘導的なものも含まれている。これでは、貴重な個人と個人の真の交流はできず、インタビューな表面的なもので終わってしまう。このことは、作品《氷解》が目指す目的と相反してしまう。時間などの制限がなければ、李凝のインタビューは更に質が高く、深いものになったであろう。

実は80年代以降、中国のアーティストは個人を際立たせ、集団を瓦解させる方向に進んでいるのだ。文化大革命の民衆運動の暗い影が、人々の心を覆い続けている。体制下の主流の言説によるプレッシャーが反動となり、ここ30年の中国現代アートは、社会的責任、芸術の政治化に反抗してきた。李凝の考えも、基本的にはこの筋道に沿っている。これは、西洋における1968年の学生運動の受け売りのようであるが、中国の特殊な状況に鑑みると、この種の反抗は未だ価値を有するといえよう。

今回のr:eadの狙いは交流にある。文化交流においては第一段階として、型どおりのイメージから抜け出し、民族への偏見を取り除き、「個人と個人」で向き合う、これらが無意識のうちに第一歩となる。個人との交流が深まることでようやく、更に深みのある思想が生まれるのである。改革開放政策から30数年経つが、中国は相対的には依然として閉鎖的な国家だ。従って、今回のr:eadは、中国のアーティストにとって格別に価値あるものだったのだ。

民主主義により歴史は繰り返されるⅡ— 歴史をリセットする

私は、レジデンスの二回目の滞在で、引き続き、歴史は民主主義により繰り返されるというテーマを掲げた。なぜなら、二回目の滞在の発表日が2013年の3月11日だったからだ。2011年のその日、日本の一部の歴史がリセットされ、多くの物事が3月12日から改めて計画、評価されることとなった。そして、2012年の選挙で安倍氏が再び日本の首相となった。5年前、つまり2007年に彼が首相だったその年の3月11日は普通の日だった。

私は発表にあたり、2007年3月11日付けの朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞の新聞を用意した。そして、新聞を展示し、出席者に朗読してもらうという二つのパートに分けて行った。出席者には、新聞の名称、日付とともに、読みたい記事を朗読してもらった。これにより、2007年3月11日が繰り返し強調され、時代の相違が次々と浮き彫りになった。例えば、当時の国際政治でいえば、アメリカはまだブッシュ政権、携帯電話は今と比較すると旧式で、建設会社の広告にはまだ希望が充満していた。そして、慰安婦問題の決議案がどうだとか、中国の態度がどうだとか……。

朗読を聞くと、一種の懐かしさを感じるだけでなく、自分がいかに多くの事を忘れていたかに驚くのである。私たちは現状を判断する時、自分の記憶は完璧だと思いがちだが、それはおかしなことなのだ。誰も、5年前の今日、自分が何をしていたか記憶していないのだから。

2011年の3月11日、日本のある部分の歴史はリセットされたが、この種のリセットは、まさに芸術創作者が作品の中で試みるものでもある。作品を通じて、鑑賞者を新たな計画、評価が行われる状態へと引き込み、創作者自身も毎回リセットし、新たに資料を収集して次回作に取り組むのである。今回のレジデンスで、アーティストやキュレーターは、ある程度においてリセットされた。それゆえに、私は、各自の次回作で引き出されるであろう対話に期待をしている。

政治を超えた歴史の実践に向けて

私 は当初、このプロジェクトが目的とする「東アジアにおける芸術や社会に対する問題意識の共有」は、参加者が自国の具体的な状況に対峙することにどのような 新しい視点をもたらすのかという興味を持っていた。しかし他方では、対話のプラットフォームに、相互に複雑な関係性をもつ東アジアの歴史や政治がどのよう に影響するのかという点で若干の懸念もあった。「国家」という枠組みがこのプロジェクトが目指すプラットフォーム構築の動機に絡んでいる以上、参加者たち は自分の国籍や、国家との関係性について意識せざるを得ない。そのような状況で、個の主観が「国家」のそれと同一化すると、個と個の対話はたちまち国家間 の利害関係や、終わりのない正義のぶつけあいになってしまう。しかしながら参加者たちは、今まさにそのような衝突がここそこで起きている中で、政治の力学 に飲まれずに、一人の文化生産者として何ができるのかを慎重に模索していたように思う。

二 度に分けられた滞在では、まず自らの活動の軸となる関心や問題を話し合い、次に各々が東京で行ったリサーチを、映像やプレゼンテーション、または食事の間 や移動中での会話など、様々な方法や場面で共有した。このプロセスにおいて興味深かったのは、短い滞在でそれぞれが得た経験を共有することが、自らの日本 への解釈や内的反応を相対化し、客観視する場となったということだ。もちろん、日本に住む小泉や私にとっても。そこには、最終日のプレゼンテーションでジ ンジュが話していたように、知っていると思っていた相手を「どれだけ知らないかを認識する」という経験を、程度の差はあれ伴ったのではないかと思う。それ はもっといえば、内面化している日本に関する言説や感情を自らの主観性から一旦取り出し、それらが、自らのアイデンティティーと深く結びついている国家の 言説—歴史や愛国心や民主主義と、その全てが併せ持つ排他性―といかに結びついているかを認識するきっかけとなったのではないだろうか。

小泉は、リサーチ期間に映像を使ったある実験を行った。それは、東京の様々な場所で、人々に日本の戦争の歴史についてインタビューし、それを語る口元だけを撮りためるというものだった。匿名性を保つことで、各々の記憶の中にある「歴史」の形—物語、情報、信条、感情、あるいは無関心や無知という不在—がありのままに語られる様を捉えている。ランダムな語り口をひたすら見続けているなかで、歴史とは何であるかという問いに考えを巡らせずにはいられなかった。国家間では領土問題から教科書問題まで、歴史をめぐる激しいぶつかり合いが行われており、それは恐らく歴史が、このグローバル時代において国家という想像の共同体を維持する上でより重要なツールになってきているという一方で、個人の市場主義的な生活においては、歴史という過去と対峙する必然性はほとんどないと言ってもおかしくない。にもかかわらず、メディアの多様化によって歴史にまつわる様々な言説が浮き沈みしている中で、その一部は、個に直接的な経験を与えずとも強い他者への憎悪と排他性を引き起こす力を発揮しているということも見逃せない。

小 泉の実験は、このレジデンス・プロジェクトがこの先考えてゆくべき重要な問題の一つを提示しているようにも思える。それは、「東アジアにおける芸術や社会 に対する問題の共有」が、この地域におけるこれからの繋がりを創造してゆくために、例えば国家間の政治という領域を超えた新しい知の実践としての歴史に向けて、他者と自らの言説や主観性を共に検証する空間を構築しうるのだろうかという問題である。東アジアのみならず、世界がより流動性を増すであろうこれからに向けて、他者と自らの内的な交渉を可能にする空間の創造とは、このプロジェクトのみならず、文化生産に関わる者が考えてゆくべき問題であるようにも思う。

以後

何かについて正確に知っていると思うのは危ないかもしれない。少なくとも、私にはそうだ。ジャン=リュック・ゴダール監督の映画「フィルム・ソーシャリズム」には、be動詞を使う人とは話さないと言い、have動詞を使おうとする子供たちが登場する。私もレジデンス期間中に、いくつかのキーワードあるいは日本について、be動詞の言葉で断言せず新しい組み合わせの可能性を残せるように努力した。

キーワード
最も多くの部分を占めていた考えは、民主主義、バーチャリティ、心のコスプレ、オタクとインヨ(剰余)、破局等だった。その理由は前にも言及したように、大統領選挙とマヤ暦 の終末騒動といった昨年末の状況を経て、システムに対する強い不信と再考、妙な想像力が生まれたと同時に、有り余っているエネルギーに興味を持ったからだ。

リサーチ
最初はキーワードを念頭におきながらインタビューを行う方法でリサーチを進めた。インタビュイーは松本哉氏、小沢康夫氏、東浩紀氏、安天氏等がいた。他にも、東浩紀氏が運営するゲンロンカフェのイベントに参加したり、公演を観たり、東京のあちことをうろつきながらリサーチをしたのだが、進めれば進めるほど元々持っていたキーワードが全て分解されてしまい、あまり役に立たなくなった。(と当時は思った)

発表
作業の初期段階だったし、自分の中でもまだ整理がついていないものを過程の中で公開するにあたって、どのような形式で見せれば良いかについて悩んでいた。しかも、今回のプログラムの為に事前リサーチした内容の多くは、現地についてからずいぶん崩れた状態だった。窮余の一策として以前ゲンロンカフェに行った時に興味深いと思ったクイズイベントの形式を用い、自分の質問をコラージュして並べたのだが、それにどのような意味があったのかは正直言って分からない。

以後
それぞれ一週間と3週間のレジデンス期間で行ったことがそれ以後どうなるかは、当初は少し曖昧に見えていたが、韓国に帰ってからいくつかのことがきっかけでそれぞれ島のように存在していたアイディアが漸くまとまってきた。それをもとにして、現在は動かずに遊牧する旅行会社のビジネスと新しいプロジェクトを一緒に進めている。r:eadプロジェクトによって生まれた新しいプロジェクトについては特に説明はしない。言葉よりはイメージを提示したい。クイズ……?

出会いを通じての理解・思想

 2003年3月、二週間にわたりr:eadに参加できたことを嬉しく思っている。日頃、展示の準備で忙しい私にとって、今回のレジデンスはとても得難い機会であった。小規模ではあるけれど、綿密で、計画性のあるこのレジデンスプログラムは、私達が知るレジデンスよりもさらに印象に残る「出会い」の機会や実質的な交流を生んだ。確かに、私の10年間のキュレーター歴や現代アートのキュレーターという仕事からみても、アーティストや他のキュレーターと知り合うチャンスは多々あるのだが、質が高く長期間にわたる交流の場というのは、想像ほど多くはない。特に、私たちの仕事はワンパターン化するとなおさらだ。
 一般的にいえば、キュレーターとアーティストの出会いは、往々にして作品から始まる。しかし、今回のレジデンスは、意識的、かつ計画的に、「キュレーター―アーティスト―芸術生産過程」というモデルを反転させた。また、それは私にとって特殊な意義となっただけでなく、私が経営するインディペンデントスペース(立方計画空間The Cube Project Space)の試みと発展の方向性とはからずも一致していた。つまり、いかにして「アーティストと長期的な協力関係を進展させるか」という新たな模索にもなったのだ。
 私と饒加恩は、このような機会を与えてくれたr:eadに参加した。韓国、日本、中国、台湾のアジア地域の「対話」が行われ、既存の地理的な理解やその他の近隣地域の歴史や文化に関する知識以外に、唯一無二の、人と人との交流の「実感」があった。不案内の状態から徐々に理解していく過程において、対話や討論を通じて文化的観点を進展させることができた。このような観点は、私達にとって当たり前になっている認識や行為を「活性化」させる。
 このような「対話」は、私達の現在の仕事と生産過程で最も欠如する「実体験」を十分に補ってくれるものであった。この二週間、私達は、第二次世界大戦、アジアの冷戦の歴史、そして、地域経済がグローバル化する今日について多方面から考えた。そこには、無数の歴史的記憶が含まれており、私達は一人の現代人、生存する個としての経験や角度から、それぞれの経験を分かち合った。そして、この特殊な機会により、私達は、グローバル化時代において、「地球は、国境を越えて本当に平らになったのか」考え、もう一つの世界観を垣間見た。
 饒加恩が東京で取り組んだプロジェクトは、上述の経験と思考に対する具体的な反応でもあると感じた。日本の歴史と民主に対する考察から、彼は一種のノンリニアでもある相互関連や対話の方式で、プロジェクトの参加者から投げかけられた問題に向き合った。(3月11日の最後のプレゼンテーションで、彼は参加者に、五年前の3月11日の新聞記事を選択し朗読してもらうと共に、彼らの歴史観や体験を示した。)また、日本国籍以外の参加者にも、この方法で、間接的に自分自身の民主的体験や私達と他のアジアの地域との関係を考えさせる場を提供した。饒加恩のプロジェクトのテーマは、日本での2012年の選挙結果や福島の原発事故後の社会意識の内在的変化と発展の考察により、「民主」や「歴史の繰り返し」を再考することにあったが、しかし、実際には、それは日本だけにとどまらず、更に広く、現代社会が直面する共通の問題/危機を反映するものであった。よって、私達もまたお互いの「関係」が終始交織しているのを目にしたのだ。過去の歴史だけでなく、今日の資本経済によって私達がいかに相互依存しているかが分かる。
 今回のプロジェクトで、饒加恩は戦略として、視覚化された素材(過去の新聞記事)を並べ拡張性を伴う時間過程を形成し、問いかけの詳述にした。「民主主義により歴史は繰り返される」が考察結果となり、同時に饒加恩が私達に問いかけた質問、つまりこの再考性のテーマにより、参加者の一人ひとりが彼と共に思考することになり、更に深みのある再考と反応を引き出した。
 このプレゼンテーションでは、参加者は当初、なぜ過去の新聞を持たされるのか分からなかったようだが、しかし、次々に行われる朗読と相互の思考を通じ、饒加恩の意図する再考の空間が意識され、感じられたはずだ。
 饒加恩のプロジェクトは「序文」のようでもある。 東京での二週間の滞在で、討論や交流を通じ、東日本大震災後の社会的変化が何であったのかを、潜在的に意識しながら考えるようになった。滞在中、大阪、京都、横浜で見聞きしたことからも、今まさに日本で、「積極的に社会を思考すること」が増えているとわかった。例えば、小泉明郎さんの作品もそうだ。また、更に多くの若い世代が、文化芸術の創造と結合させ、より多くの社会的活動に関与している。このことは、滞在中の考察とレジデンス参加後の最大の収穫といえる。r:eadというこのレジデンスは、新たな芸術生産のモデルが有する意義とそれが実践される可能性を教えてくれた。